私と禅

私が禅の出会いには、

おじいちゃん

が大きく影響しています。


小6で母を失うその数年前から

心がざわざわしていた幼きころの私。

手薄になる子育てをカバー
してくれたのがおじいちゃんでした。


一緒にお相撲見て、笑点を観て。
バカ殿も観たし、水戸黄門は鉄板。
折り紙したり、工作したり。
何か壊れると一緒に直したり。
病気のときはつきっきり。



うれしいときも、悲しいときも、
いつもおじいちゃんが
そばにいてくれました。


そのおじいちゃんは、明治生まれ。

おじいちゃんのおじいちゃんまでは武士で、
お父さんが文明開化した世代。
代々のお墓は東北の禅寺にあり、
禅寺の位置を頼りに埼玉に越してきました。

なので、言うこと為すこと、
本質は禅の教えに基づいていて、
言葉に深い意味を持っていました。


顔や佇まいにも深い意味があって、
醸しだす雰囲気や間で
いろんなことを伝えてくれました。



ちょっと気難しい一面を持っていたり、
すぐ思いを顔に出してしまう
ところがありましたが、

クリエイティブで、
人を笑わすことも、
悲しみに寄り添うことも

できる人でした。

そしてその性格は、まんま私が引き継いでいます。



つまり禅は、
生まれたときからあるもの、

染みついているものなんです。


でも説明するのが難しい。

だからこそ挑戦したい。

そう…
2600年続く禅を現代に訳して、
多くの人に伝えることが

私に与えられた使命なのです。

だから、わたしは禅を学びます。

昭和51年おじいちゃんと私